SJCスタッフ ますちゃん「お酒で失敗したこと~第3章」

1. 父との賭けと「禁煙」への第一歩

私の最初の禁煙は、ちょっと変わったきっかけでした。 父親と「禁煙できたら10万円!」という賭けをし、見事成功したのです。
実は私はもともと「子どもなんていらない」と思っていたし、自分は家事が苦手だから「仕事ができなかったら何の価値もない」と思い込んでいました。
でも、夫は家のことも私より上手にこなしてくれる人で、「子どもを持たなければ1人前じゃない」という気持ちも強く持っていて、いつしか「私にできる最大の恩返しは、夫の子どもを産むことなのかもしれない」とまで思うようになっていきました。

2. 妊活決意と「おかしな矛盾」

子どもを作るならまず禁煙から、と考えましたが、妊活を始めてもお酒だけはやめなかったことには今でも矛盾を感じます。
それでも妊娠がわかったとき、医師から当然のようにアルコールをやめるように言われました。
当時はノンアルコールビール「Free」(だったかな?2002年末ごろ)をモニター応募で箱ごと手に入れて、妊娠期間はそれでしのぎました。

3. 産前の不安と「生きることへの絶望」

妊娠中、慣れない身体の変化や、家族のなかで自分だけが飲酒を我慢している疎外感、そして「自分の価値がわからない」という苦しさも重なって、心がどんどん追い込まれていきました。 電車通勤のホームで立ち尽くし、「このまま飛び込めば楽になれるのかも」と思ったことすらあります。それほどまでに、先の見えない不安や孤独になすすべがない気持ちでした。(もちろん、実際に行動したことはありません。)

4. ミルク育児への切り替えと母としての戸惑い

しかも、母乳の出が良くなかったのか、息子の1ヶ月検診で体重が減っていることが判明し、医師にきつく叱責されてしまいました。 そのショックもあり、目の前で酒を飲む母や夫を見て、すごいイライラして、息子が生後1ヶ月半足らずの頃、完全にミルク育児へ切り替える決断をしました。 これって、アルコール依存症の第一歩(すでに一歩どころじゃない?)かなって思います。 このタイミングから、私は夜にふたたびお酒を飲むようになりました。とはいえ、毎晩必ず飲むというほどではありません。 ただ、「お母さんなのに母乳が上手くいかない」「育児が思っていた以上にうまくいかない」という自信のなさや孤独感を、お酒でごまかしていた部分があったのかもしれません。

たまたま息子はとてもよく寝る子で、退院した日の夜から、まだ生後1週間にも満たないのに夜10時から翌朝8時までぐっすり。 病院のように朝の放送もない実家では、私もつい寝過ごしてしまい、飛び起きて息子の呼吸を慌てて確認したり、大急ぎでミルクを作って哺乳瓶をくわえさせると、寝たままゴクゴク飲む――そんな“型破りな赤ちゃん”だったため、子育てってこんなものなんだなって当時は思っていました。

5. 仕事復帰と産後うつの悪化、そして葛藤

息子が生後6ヶ月になり、保育園に預けて仕事復帰しました。 しかし、無理を重ねたことで産後うつが表面化し、心身の不調が悪化していきました。時々お酒や向精神薬に頼ることもありましたが、本格的に依存するのはこの時期からです。 精神科医からは「うつ病なので休職しましょう」と診断書を渡されても、「休めません!」と自分で限界まで仕事を続けてしまいました。

育児と仕事の両立に苦しみながら、小さな息子や夫の支えもありつつも、自分ひとりで全て背負い込もうと必死で頑張っていました。 「もう自分だけ楽になれたら…」と感じるほど、追い詰められた時期でもありました。

6. 産後の苦しみと「息子に繋ぎとめられる心」

産後うつの症状が深まる中、育児や家事が思うようにできず、「私なんて母親失格かもしれない」と自分を責める日々が続きました。寝る時間も不規則になり、心身のバランスが崩れていったのです。

それでも、「この子を残して自分だけいなくなるわけにはいかない」という強い責任感が私の心を繋ぎ止めていました。

産後の絶望感と責任感の間で揺れ動きながら、酒や薬に頼る日々が続きました。

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